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第八回(2012年度)

受賞者及び受賞業績

塩崎 悠輝
『近代国家とイスラーム――20世紀マレーシアのファトワーに見られる国家とウラマーの対立』同志社大学提出博士論文、2011年3月

受賞理由

award8_2.jpgaward8_1.jpg本論文は、マレーシアのファトワーをめぐる議論を通じて、近代国家とウラマーとの緊張関係の高まりの過程の一端を解明したものである。ウラマーとは、イスラームの教義体系シャリーアの継承の担い手であり、シャリーアに基づく国家建設を主張する人々である。一方、近代国家制度は、植民地化を経てマレーシアを含むイスラーム世界に導入されたものであり、イスラームとは異なる統治体系に基づいている。本論は、「誰がシャリーアを解釈するのか」という問題に注目し、国家によるウラマーの解釈権の統制と彼らの伝統的解釈権とのせめぎ合いを具体的に論じた点で、今日のイスラームの政教関係を考える際の重要な事例を提供している。
本論文は全体で7章構成になっている。各章の要旨をごく簡単に要約してみよう。まず第1章でイスラーム世界全体におけるファトワーを概観するとともに、今日のマレーシアで出されたファトワーを具体的に紹介している。次いで第2章で多民族国家マレーシアにおける国教イスラームとその他の諸宗教との関係、及び1970年代以降のイスラーム化政策の進展を具体的に解説している。第3章では、「公共圏」と「対抗公共圏」という概念に注目し、新聞、メディアを独占することで公共圏を支配している政府に対して、小規模な集会や礼拝などを通じて、政府的なイスラーム政策に対抗する、もう一つのイスラーム的公共圏の存在を明らかにしている。第4章では、マレーシアにおける近代的行政・司法制度とシャリーアとの関係を「シャリーア折衷制度」と理解した上で、西欧の世俗主義を念頭に、行政の中にファトワー管理制度を含むイスラームがどのように組み込まれていったのかを論じている。第5章では、在野のイスラーム勢力を押さえ込もうとするという政府の一貫した方針を背景にしたファトワー管理制度の発展の経緯とその性格を検討している。第6章ではイスラーム世界におけるウラマーの役割とそのネットワークを概観した上で、植民地化の進展の時期及び独立後に惹起した様々な新しい問題に対して、ウラマーがどのように適応してきたのかを、ファトワーの内容分析から明らかにしている。終章の第7章では、ウラマーを中心とした政党であるPAS(マレーシア・イスラーム党)の歴史を概観した上で、公的なファトワー管理制度による政府のPAS統制と、それに対するPASのウラマーたちの対応が検討されている。
以上が内容の概要であるが、本論文は、ウラマー層の動向とそのネットワークのあり方に言及しつつ、ファトワーの国家的管理を進めてきたマレーシア政府の動きを軸に、近代国家の統治理念とイスラームという宗教的理念との相克を詳細に論じたものである。70年に始まったマレーシアのイスラーム化政策によって、ウラマーの官僚化が進み、国家機構の中にウラマーが取り込まれるという方向性が深化する一方で、これに反発するウラマーがファトワーによってそれに対抗し、その交点に国家によるファトワー管理制度が浮上するという論述は非常に興味深いものがある。また、国家の公的領域の支配に抵抗するウラマーのネットワークに注目し、留学や師弟関係といったシャリーア学の継承のメカニズムの一端を明らかにしたことも、これまでの研究にはない重要な貢献だといえよう。
ただし、記述に若干の重複が認められると共に、論文構成にも問題を感じないでもなかった。その点では、さらに論点の整理と議論の一層の展開が必要である。しかし、本論文が先行研究の少ないマレーシアのファトワーに焦点を合わせながら、マレーシアという近代国家と、シャリーアの至上性を主張する反政府系のウラマー勢力との葛藤を詳細かつ具体的に検討したことは、今日のイスラーム国家の政教関係を考える上で極めて重要な学問的意義を有するものであるといえる。審査委員会は、上述の諸点に鑑み、国際宗教研究所の定める審査基準に照らして、本研究が同研究所賞受賞にふさわしい業績であると判断した。

2013年2月9日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴

塩﨑 悠輝 しおざき ゆうき
1977年生まれ。2011年同志社大学神学研究科博士課程修了。博士号(神学)。外務省在マレーシア日本国大使館員、日本学術振興会特別研究員を経て、現在、同志社大学神学部助教。専門は東南アジアのイスラーム法学。

主要業績

"The State and Ulama in Contemporary Malaysia" in Society and International Relations in Asia. Amsterdam University Press・2010
「マレーシアの公的ファトワー管理制度―近代国家によるシャリーア解釈権独占の試み―」(『イスラム世界』76号、2011年。)
塩﨑悠輝編著『マイノリティ・ムスリムのイスラーム法学』日本サウディアラビア協会、2012年

 


 

奨励賞 受賞者及び受賞業績

高橋沙奈美
『ソヴィエト・ロシアの「聖」なる景観――後期社会主義ロシアの文化状況における正教的遺産の役割』北海道大学提出博士論文、2011年12月

受賞理由

award8_4.jpgaward8_3.jpg本論文は、20世紀後半におけるソヴィエト・ロシアの宗教文化の問題を、その間の社会的文化展開と照らし合わせ、複数のテーマを設定して、多角的にアプローチした特色ある研究である。
1950年代~70年代を後期社会主義と規定した上で、その時期に起こった宗教文化の問題を、たんにスターリニズムの薄められた延長ではなく、後期伝統的宗教という文化の展開から見ていく視点に立っている。ソヴィエトの宗教学と科学的無神論の関係についての見解を述べたのちに、いくつかの独立したトピックを取り上げつつ、そこに通底する問題を拾いあげようとしている。
A.タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』という映画を素材に、「権威言説」による表象の扱われ方、またそれが本人の意図を超えて展開する過程を分析している。全露史跡・文化財保護協会の活動を論じた章においても、文化財がもつ「権威言説」の問題が論じられている。さらにロシアの修道院に開設された博物館や自然公園を実際におとずれ、そこに掲げられたメッセージ、あるいは訪問者たちの言葉を分析している。その中ではウラジミール州における史跡・文化財保護運動が、ロシア正教の教区信者とどうかかわりをもつかが分析されている。
このように扱われた対象は多様であるが、それぞれに精力的に調査を重ねたことが分かる。分析にあたって文献、資料、あるいは観察結果を実証的に扱おうとする姿勢は一貫している。ただし、そのことが全体としての論理の運びがやや拡散してしまったことは否定できない。また依拠する主たる理論についても同様である。公共圏、親密圏の概念に言及し、SVOIというロシアの概念との関係も論じている点は興味深いが、これらをまとめあげていく構想は今後の課題となろう。
理論的考察において改善の余地はあるものの、非常に精力的な実地調査と文献へのアプローチを試みた博士論文であり、国際宗教研究所賞奨励賞にふさわしい内容と考える。

2013年2月9日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴

高橋 沙奈美 たかはし さなみ
1979年生まれ。2011年北海道大学文学研究科博士後期課程単位取得退学。2011年博士号(学術)取得。現在、日本学術振興会特別研究員。専門はロシア文化史。

主要業績

Church or Museum?: The Role of State Museums in Conserving Church Buildings, 1965-1985, Journal of Church and State, Oxford University Press, 51(3), pp. 502-517, 2009.
「「停滞の時代」のソロフキ国立歴史建築博物館・自然公園:失われた修道院をめぐる親密圏・公共圏の語り」
   (『ロシア語ロシア文学研究』、日本ロシア文学会、第39号、2007年)
「社会主義的無神論の遺産:ポスト社会主義ロシアにおける宗教文化財と博物館」
   (『季刊民族学』第141号、2012年)

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