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第十八回(公財)国際宗教研究所賞・奨励賞

【研究所賞】該当作なし
【奨励賞】 次の2作品

 授賞業績

 黒田賢治『戦争の記憶と国家--帰還兵が見た殉教と忘却の現代イラン』(世界思想社、2021年9月)

 授賞理由

イラン革命のすぐ後に始まったイラン・イラク戦争(1980〜88年)の戦死者はイランだけでも21万人を超えるとされ、その傷は深いものがある。ところが、その後も国外各地で戦争支援を続け、殉教の価値を高く掲げる勢力が大きな政治力を保持している。革命後のイランでは、国軍とは別に革命防衛隊があり、その革命防衛隊の傘下にバスィージという民兵組織があり、軍隊として機能するとともに、市民生活を監視する組織として機能してきた。著者は主にこの革命防衛隊とバスィージを念頭におき、これと連携する勢力を含めた政治経済集団を「軍」とよび、「軍」がどのようなイスラーム信仰を鼓吹してきたのかを1人の人物を通して描き出そうと試みている。

著者は2015年から19年にかけて6回にわたり、50歳代後半のモハンマド氏を中心に関係者と持続的に交流を行なった。モハンマド氏は殉教者・奉仕者財団に属し、イラン・イラク戦争の戦没者に関係するテヘランの「イスラーム革命・聖地防衛博物館」の館長を務めていた。このような戦争経験者が戦争の記憶を「殉教」「殉教者」に焦点をあてて語り、その大義のもとに行動することで、シーア派イスラームの政治的影響力が強化されてきたことが示されている。

そもそもシーア派イスラーム教徒にとって殉教は重い意味をもつ。3代イマームのフサインが、680年、圧倒的な数のウマイヤ朝勢力にカルバラーの荒野で包囲され、殉教をとげた。この「カルバラーの物語」がシーア派の信仰の核心にある。歴代イマームはフサインを引き継ぎ、殉教を遂げてきたと信じられている。イラン・イラク戦争はこの言説的伝統(タラル・アサド)を新たに活性化し、その後も革命防衛隊などの「軍」勢力がそれを賦活し続ける役割を担ってきた。すでにイラン・イラク戦争の記憶が薄らぐ傾向も避け難いが、ポピュラー音楽のような娯楽文化の領域でも「軍」のイデオロギーが展開し、新たな世代の支持を得るために一定の役割を果たしている。

以上、本書の概要を述べてきたが、ここではイスラーム革命後のイランにおける「殉教」をめぐる表象、言説、実践について具体性に富んだ叙述がなされており、現代イランの政治と宗教について独自の分析がなされている。一人の人物に焦点を当てた「生きられた宗教」の叙述として、宗教研究の新しい地平を切り開いていると見ることができる。ただし、叙述の厚みという点でやや物足りないという印象が残る。詳細に描かれる登場人物が少ないこと、国内の敵対する勢力との関係について叙述が少ないことなど、関連する事象への論究が十分ではないことは残念なところだが、今後の研究によって克服されていくことを期待したい。

これらの点を踏まえても、本書はイランの現代シーア派イスラームと政治や社会の関係について豊かな情報と分析視角を提示しており、現代の宗教復興をめぐる国際的な比較研究にとっても示唆するところが多く、国際宗教研究所賞奨励賞にふさわしい作品であると判断した。

(2023年2月 18日(公財)国際宗教研究所賞選考委員会)

 授賞業績

 荒木亮『現代インドネシアのイスラーム復興--都市と村落における宗教文化の混成性』(弘文堂、20222月)

 授賞理由 

本書は、著者が2018年に首都大学東京に提出した博士学位論文「イスラーム復興の混成性―インドネシアの都市と村落における「流動性」と「恒常性」の位相」に加筆・修正を加えたものである。全体の構成は補論を除いて2部に分かれており、冒頭の序論で本書全体を貫く著者の問題意識と理論的関心が詳述されている。まず第1部では、2000年代初頭に国民的なスターになるイスラームの説教師アア・ギムを取り上げ、彼の絶大な人気の背景にあるイスラームの純粋化と都市の消費文化の混成性を論じている(第1章)。次いで、都市中間層の間で人気の、大巡礼(ハッジ)とは別に行われる小巡礼(ウムラ)に注目し、そこにイスラーム信仰の深化と共に、「自己の威信の顕示」の並存を指摘している(第2章)。第1部の最後に、都市中間層のムスリマたちの間で増加するヴェールやイスラーム服の着用が「敬虔さの深化」を示す一方で、カラフルでお洒落なファッション性の追求という要素もあり、宗教化と商品の消費という混成が認められるとしている(第3章)。小括を挟んで、第2部は、都市近郊のK村落の伝統的祭りでの「クダ・ルンピン」という憑依儀礼と村人の多様な言説が取り上げられる(第4章)。次いで、「ルキヤ」と呼ばれるイスラーム式の除霊儀礼とその施術者である「ウスタズ」、さらに施術を受けた人々の語りが分析され(第5章)、最終章では、著者の視点からこれらの事例を整理しながら、「ポスト・イスラーム復興」といえる宗教性と世俗性の混成性をどのように捉えるべきなのかが検討されている。

著者は、社会人類学者大塚和夫の議論を手がかりにしながら、インドネシアにおけるイスラーム復興という宗教性の拡大、深化を確認しつつ、それらに同時に認められる都市大衆の消費文化的性格や、その「構造的な変換形態」である村落内での日常的実践を「混成性」というキーワードで捉えている。そして大塚の問題提起をさらに一歩進め、社会学者樫村愛子から援用した「恒常性」と「再帰性/流動性」という二項対立的概念を下敷きにして、宗教化と世俗化の混成性を可能にする「媒介」という論点を引き出している。その上で、イスラーム復興の様々な事例から浮かび上がってくる混成性は、相対立する「恒常性」と「再帰性/流動性」の「並存・両立・調停」を可能にする媒介となっているのではないかとしている。この理論的な議論の妥当性は、概念の適切性を含めてさらに検討する余地を残しているものの、著者が本書で提示しているインドネシアのイスラーム復興の様々な事例とその分析は興味深く洞察に富んでいる。全体として、本書は社会人類学的な視点から近年のイスラーム復興現象に対して新たな知見の提示に努めており、選考委員会は国際宗教研究所賞奨励賞にふさわしい業績であると判断した。

(2023年2月18日 (公財)国際宗教研究所賞選考委員会)

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