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第四回(2008年度)

受賞者及び受賞業績

小池 靖
『セラピー文化の社会学――ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ』勁草書房、2007年8月

受賞理由

award4.jpgaward4_2.jpg本書は、著者が東京大学大学院人文社会系研究科社会学専門分野に提出した博士論文をもとにしたもので、全体で五章からなっている。第一章では問題意識と視点が提示され、それに続く三つの章では三つの事例がそれぞれ詳細に取り上げられる。そして、最後の第五章と短い結語では、それらを検討、比較することを通じて、現代社会における心理学的発想の拡大が意味するところを読み解くという構成を取っている。
第一章は、本研究がどのような問題意識と視点からセラピー文化の広がりを論じようとするのかを明らかにするものであり、先行研究の概観と本書の議論の枠組みが提示されている。著者の基本的な分析の視角は、セラピー文化の具体的実践が前提にする世界観、なかでも、それがもつ「自己像と社会像」に焦点をあわせて論じるというものである。第二章では、ネットワークビジネス、マルチ商法の販売員のネットワークが分析され、第三章では、グループ・セラピーの現代的展開の典型例として、日本の自己啓発セミナーが分析の俎上に乗せられている。第四章ではトラウマ・サバイバー運動が取り上げられ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)、「アダルトチルドレン」、「共依存」、「アディクション」、「外傷後ストレス障害」(PTSD)などのトラウマとそこから脱出するための自助グループの存在が紹介されている。第五章では、これまで紹介してきた三つの事例を比較して、現代社会における心理学的な態度の広がりの意味について論じられ、そこに「心理療法的な倫理における「強い自己」の論理と、新たな「弱い自己」の論理の両方」の存在を見出している。その上で、著者は、それぞれの運動の社会像と自己像を抑圧と責任という観点から整理するとともに、その規模、メンバーの生全体を包括する程度、さらには、それらが出現した時代状況に注意を向けている。以上が、ごく大雑把であるが、本書の内容である。
さて、本書の学問的貢献は、心理主義的なセラピー文化のように、どこまでが心理学でどこまでが宗教なのかが判然としてない、宗教研究のいわば境界領域に光を当て、その実践を正面から論じたという点にある。特に、著者が、セラピー的実践を特定の明確な自己像、社会像をもつ世界観・宇宙観として理解した上で、この種の実践を、これまで世界観構築を独占してきた宗教、倫理、哲学といった領域と競合する、イニシエーション的装置を備えた新たな世界観提供運動として機能していることを具体的事例に則して実証的に明らかにしたことは大きな意義をもっているといえよう。さらに、本書がセラピー文化と宗教との接点のあり方を具体的に論じたことは、一見すると宗教とは別物のように見えるセラピー的実践に、宗教研究の側からもアプローチする道筋がつけられたように思われるのである。
しかし、本書の論旨すべてに不満がなかったわけではない。著者が指摘するように、確かに、自律した個人という近代社会の個人像が大きく揺らいでいることは事実であろう。しかし、ポストモダン社会の免責の論理は、全体として自己実現の賛美の奔流の中に翻弄されながら、自らの行為に責任をとらずに主観性のリアリティだけを頼りにする多くの人々を生み出すのではないだろうか。つまり、セラピー文化の興隆がもたらす「私性」の支配の問題は、公共圏といった社会の秩序の存続の問題とどのように折り合いをつけるのか、このあたりの問題について、著者の見解がどのようなものなのかをもう少し論じて欲しかったような気がした。さらに、セラピー文化の隆盛が宗教教団の活動にとってどのような意味や問題をもっているかといった点についても、論じていただければ良かったように思われる。
しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、宗教とその隣接領域との研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。

2009年2月21日 (財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴

小池 靖 こいけ やすし
1970年生まれ。2006年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員、宗教情報リサーチセンター(RIRC)研究員を経て、現在、立教大学、日本大学、東洋大学にて非常勤/兼任講師。

主要業績

「ポジティブ・シンキングからニューエイジまで」
   (『宗教と社会』第4号「宗教と社会」学会、1998年)
「現代宗教社会学の論争をめぐるノート――霊性・合理的選択理論・世俗化」
   (国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2002年)
「文化としてのアダルトチルドレン・アディクション・共依存」
   (島薗進・田邊信太郎編『つながりの中の癒し――セラピー文化の展開』専修大学出版、2002年)
「被害者のクレイムとスピリチュアリティ」
   (櫻井義秀編『カルトとスピリチュアリティ』ミネルヴァ書房、2009年)

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