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(財)国際宗教研究所は、内外宗教の研究を通じて宗教相互の理解を深め、ひいては人類文化の向上に資する目的で、1954年5月設立されました。現在は日本の数十に及ぶ宗教団体や研究機関を賛助会員とし、また多くの個人会員に支えられ、的確な宗教情報の提供や宗教研究の推進、また宗教者・ジャーナリスト・宗教研究者の相互理解の深化を目指して、活動を進めています。併設する宗教情報リサーチセンターの運営、定期刊行物『現代宗教』『国際宗教研究所ニュースレター』、『ラーク便り』の刊行、定期的なシンポジウムや研究会の開催、およびその成果の出版などを継続的に行っており、その活動は高い評価をいただいております。
(財)国際宗教研究所では、その活動の新たな展開として2005年度より「国際宗教研究所賞」を創設し、広く応募者を募っています。
第八回 (財)国際宗教研究所賞(2012年度) 募集要項
※応募締め切りは2012年7月末日(研究所必着)。審査結果公表および授与式は当研究所主催の公開シンポジウム(2012年度冬頃を予定)に合わせて行う。 第七回 (財)国際宗教研究所賞(2011年度) 受賞 石森大知 第六回 (財)国際宗教研究所賞(2010年度) 受賞 オリオン・クラウタウ 岡本亮輔 第五回 (財)国際宗教研究所賞(2009年度) 受賞 長谷千代子 奨励賞受賞 寺田喜朗 第四回 (財)国際宗教研究所賞(2008年度) 受賞 小池 靖 第三回 (財)国際宗教研究所賞(2007年度) 受賞 西村 明 第二回 (財)国際宗教研究所賞(2006年度) 受賞 矢野秀武 第一回 (財)国際宗教研究所賞(2005年度) 受賞 近藤光博 |
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◆第七回(財)国際宗教研究所賞(2011年度) 受賞者及び受賞業績 石森 大知 『生ける神の創造力――ソロモン諸島クリスチャン・フェローシップ教会の民族誌』世界思想社、2011年 受賞理由 本書は、太平洋メラネシアの島嶼国家「ソロモン諸島」のニュージョージア島北部を中心とした「クリスチャン・フェローシップ教会」(以下CFCと略す)の全体像を、長期にわたるフィールドワークの成果に基づいて、通時的・共時的に論じ、メラネシア地域におけるこの運動の意味とその信仰の特質を人類学的視点から明らかにしたものである。
全体の構成は、CFCの歴史、社会、宗教の3つの側面をそれぞれ扱った3部立てになっている。メラネシアの宗教運動をめぐる先行研究が簡潔に整理される序論に続いて、第T部「運動から教会へ―CFCの歴史的側面」では、CFCの前史から現在に至るまでの歴史が扱われている。第1章で18世紀後半のニュージョージア島の社会文化的背景と20世紀初頭からのメソディスト教会の宣教史が記述され、第2章では、この集団の教祖サイラス・エトのライフヒストリーと、彼の宗教体験からCFCがどのように誕生し、どのような経緯でそこから分離、独立したのかが述べられている。第3章では、エトの死後、彼の次男イカンの継承をめぐる経緯と、「生ける神」イカンの下で整備された組織体制の発展が詳述されている。 第U部「パラダイスに暮らす―CFCの社会的側面」では、エトが拓いたパラダイス村での信徒たちの日常生活の実態が明らかにされている。第4章では、この村の時間と空間の統制を記述して、パラダイス村とかつてのメソディスト教会の宣教本部との類似性が指摘されている。第5章は、日常生活を律する「法」を扱い、村人が「生ける神」の教えである法の遵守を通して相互の連帯の確認と、神の恩恵を期待していることが述べられている。第6章では、エトが組織した「労働集団」の構成原理を明らかにし、それが従来の親族組織とは異なるキリスト教に基づく新しい人間関係の基盤となっていることを指摘している。 第V部「聖霊の働きと『生ける神』―CFCの宗教的側面」では、この集団の信仰がいかなるものなのかが詳述されている。第7章では、CFCの教会儀礼や礼拝様式の事例を検討することで、メソディスト教会との比較を行っている。第8章は、一般信徒の宗教経験の内面的理解に即してCFC信仰の中核に位置する聖霊とエト(およびイカン)の位置づけを明らかにし、エトが「生ける神」として神格化する過程を論じている。第9章では、この島の伝統文化とキリスト教福音主義派との比較検討を行い、この集団にメソディストへの回帰主義的傾向を認めている。終章では、CFCの事例を通して従来の社会宗教運動論の妥当性を検討し、新たな理論的枠組みの提示を試みている。 本書は、ソロモン諸島に展開するユニークなキリスト教系運動を民族誌的に丹念に記述しながら、それを人類学の理論的枠組みからどのように捉えるべきなのかを論じた力作であり、カーゴカルト論以降のメラネシアの人類学的研究としては出色なものと思われる。なかでも、著者が彼らの信仰世界を、「狂気」や「シンクレティズム」としてではなく、その言説の側に寄り添いながらキリスト教の新しい動きと重ねあわせて論じようとしたことは、宗教研究という観点からもきわめて重要な貢献といえるだろう。また、この研究領域において著者が「太平洋におけるモダニティ」という論点を導入したことも重要であり、メソディスト教会の流れを汲むCFCの展開に西欧近代との歴史的類比のおもしろさを感じた。加えて、オリエンタリズム批判以降、内省化し混迷を深める人類学の領域において、本書が久しぶりにフィールドワークの重要性を強調した点も特筆して良いだろう。 勿論残された課題も少なくない。著者はCFCの信仰をキリスト教のリヴァイヴァリズムの系譜に位置づけ、それがシンクレティズムであるという評価を退ける。その結果として、CFCの信仰の中核にある「生ける神」エトとイカンの宗教的権威とキリスト教との関係について必ずしも説得力のある議論を展開していないように思われる。 こうした検討課題は残されているものの、本書は、着実で綿密なフィールドワークを基盤にして、メラネシア地域の社会宗教運動の調査と理論に新しい頁を開いた独創性の高い研究成果であり、国際宗教研究所の定める審査基準に照らして、同研究所賞受賞にふさわしい業績として評価できる。 2012年2月11日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 石森 大知 いしもり だいち
1975年生まれ。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員。専門は文化人類学。 主要業績
「カリスマの独占と継承――ソロモン諸島における知と権力のキリスト教化」
(塩田光喜編『知の大洋へ、大洋の知へ』彩流社、2010年) 「ソロモン諸島の『聖霊の教会』と憑依現象――クリスチャン・フェローシップ教会における過去と現在」 (『宗教と社会』14号、2008年) ◆第六回(財)国際宗教研究所賞(2010年度) 受賞者及び受賞業績 オリオン・クラウタウ 『近代思想史としての仏教学――国民国家と僧風刷新の歴史記述』東北大学提出博士論文、2010年3月 受賞理由 オリオン・クラウタウ氏の受賞業績「近代思想史としての仏教学――国民国家と僧風刷新の歴史記述」は、近代国民国家の形成過程で「日本仏教」の歴史がどのように描かれ、特徴づけられていったかについて、明治期から現在までを展望しようとした労作で、日本仏教史の自己理解の言説史として斬新であるとともに、現代日本においてもなお「日本仏教」がどのように理解されているかをふり返る上でも示唆的な、現代的意義の大きい業績である。
クラウタウ氏は近代的な「仏教」の歴史的理解や概念構成が、日本においてどのように形づくられていったかという大きな問題を立て、その研究動向を概観した上で、日本における仏教学や歴史学・思想史学など関連分野における仏教史叙述のあり方に焦点をあてる。そして、鎌倉仏教を重視する「日本仏教」の叙述パターンがどう定まっていくかという問題と、「近世仏教堕落論」がどのように形成されていくのかという、関連し合った二つの課題を設定し、二部構成で論じていく。
第一部では、まず、明治初期には仏教を日本のそれに限定せず普遍化して捉えようとする傾向が強かったことが示される。帝国大学で最初に仏教を講じた原担山はそうした方向で仏教学を構成しようとしていた。こうした方向をとった原担山には国民精神と関連づけて仏教を論じる傾向は見られなかった。ところが、原担山を継いで帝国大学の仏教講座を担当した村上専精となると「日本仏教」への傾きが強まる。「日本仏教」を掲げる著作は村上以前にもあったが、村上のそれは宗派の祖師に重きを置いたものとなる。とりわけ、日露戦争の頃から宗派仏教の優越性を強調するようになり、鎌倉新仏教こそが高い価値を達成した指導者たちであったと主張されるようになり、大正期以降の高楠順次郎は家族国家論を取り込んだ日本仏教論へと発展させる。そして、さらに第二次世界大戦期の国体論に寄り添う花山信勝や、哲学的な「否定の論理」に依拠する家永三郎の、ともに聖徳太子と鎌倉仏教を際立たせる日本仏教史観に受け継がれていく。 第二部では、近世仏教堕落論の始まりが明治初期の「僧風刷新」の潮流に求められる。「僧風刷新」を動機とする仏教批判は慈雲の正法律運動に見られるように、すでに近世から存在するが、明治維新後、神仏分離や廃仏毀釈の潮流の中で、仏教勢力が連携して国家への貢献と国家からの再評価を追求する過程で自己反省の形で大きな論調となっていった。明治元年に結成された諸宗同徳会盟を淵源とするこの論調は、その後、「日本仏教史」や「日本宗教史」を掲げる書物に度々表れる定番となっていく。だが、近世仏教堕落論を堅固に見える学問的記述と結合したのは辻善之助であり、一九三一年以降のことだった。しかし、彼のその見方はすでに一九〇二年の論文において表れている。実証性が高いと見られてきた辻の業績だが、ステレオタイプ的な評価が下敷きになっていることは見逃せない。また、真宗の立場や国家協力に肯定的な政治的立場が背景にあることも忘れるべきでない。辻によって確立した近世仏教堕落論は第二次世界大戦後においても、多くの学者に引き継がれており、大桑斉や高埜利彦らによってそれを克服するような見方が提示されるようになったのはようやく最近のことである。 以上のように、クラウタウ氏のこの論文は、明治期から現代に至る日本仏教史において支配的であった固定観念的な見方の主要なものを取り上げ、その形成・展開過程をたどり、批判的に見直す視座を提示したものである。現代においてもなお、日本の仏教界や関連学界、また人々の日本仏教観に深く浸透していてなかなか自覚されにくい諸前提を露わにし、もっと現実に即した日本の仏教史の見方ができるようにするための基礎作業が積み重ねられ、大きな図柄が描き出されている。 やや図柄が単純化されすぎており、日本仏教観の多様な表れや微妙な変化のニュアンスが見えにくくなっているという難点はあろうが、大きな展望の下にここまで先行研究によく目を通し、関連資料を調べ上げた力量はりっぱなものであり、現代日本の宗教が抱える実践的な諸問題に応じるための示唆を読み取ることも可能である。よって本選考委員会は、本業績が国際宗教研究所賞を受賞するに久しいものと判断する。 2011年2月19日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 Orion KLAUTAU オリオン クラウタウ
1980年、ブラジル生まれ。2002年サンパウロ大学歴史学科卒業。2010年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、日本学術振興会外国人特別研究員。専門は宗教史学(近代日本仏教)。 主要業績
「近世仏教堕落論の近代的形成――記憶と忘却の明治仏教をめぐる一考察」
(『宗教研究』第354号、2007年) “Against the Ghosts of Recent Past: Meiji Scholarship and the Discourse on Edo-Period Buddhist Decadence” (Japanese Journal of Religious Studies, 35/2, 2008) 「原坦山にみる明治前期仏教言説の動向」 (『日本仏教綜合研究』第7号、2009年) 「大正期における日本仏教論の展開――高楠順次郎の思想的研究・序説」 (『日本思想史学』第42号、2010年) 「十五年戦争期における日本仏教論とその構造――花山信勝と家永三郎を題材として」 (『佛教史學研究』第53巻・第1号、2010年) 受賞者及び受賞業績 岡本 亮輔 『ポスト世俗化の宗教変容と宗教社会学の再構築――現代フランスの聖地巡礼についての宗教社会学的研究』筑波大学提出博士論文、2010年3月 受賞理由 本論文は、現代宗教社会学の中心的な課題の一つ、即ちポスト近代、ポスト世俗化状況における新たな宗教性の生成やその特質の解明という課題について、一方で欧米宗教社会学の「世俗化論」の展開を後期近代化の社会理論に照らして綿密に再検討することを通して、またもう一方で現代フランスを中心とした現代西欧社会における聖地巡礼の具体的事例の掘り下げを通して、即ち理論と実証の両面から斬りこんだ意欲的な研究である。
理論篇とも言うべき第T部では、世俗化論に関しこれまでになされた様々な議論及びその最近の展開を広く渉猟し、錯綜した議論や問題点を巧みに整理するとともに、ポスト世俗化の宗教変容のあり方について著者独自の新たな理論的視座を提示している。それは宗教の私事化の進展、宗教の個人選択の拡大といった従来の世俗化論を引き継ぎつつも、個人は意味やアイデンティティの調達を、決して十全な自律性によってではなく、自らが帰属する社会文化的文脈との関係性の枠内で選び取るとする「私事化の文脈依存モデル」である。そして従来の私事化モデルが暗黙に想定する自立的、自律的な「強い信仰者」像を批判し、自らの信仰を他者や他集団との相互作用の中で不断に問い直して再構築する「弱い信仰者」像をよりリアルな現代人の姿として対置している。世俗化に関する諸学説の検討、整理として周到であるとともに、提起された新たなモデルは私事化の個人主義儀的モデルに対する現実的な修正案として説得力がある。 こうした理論的な見通しの下に、更に実証篇の第U部ではフランスを中心とした現代西欧社会の聖地巡礼(ブーム)が取り上げられて検討される。そこでは奇跡のメダル教会の巡礼、サンティアゴ巡礼といった従来型の巡礼だけでなく、テゼ共同体やイベント型の「大会巡礼」といった現代型の新しいタイプの巡礼も含めて、様々なタイプの現代の聖地巡礼に光が当てられる。ツーリズム研究などの現代的視座も取り入れつつ、特にそれらの参加者の様態ついて、それぞれ現地でのフィールド調査、参与観察、聞き取り調査を駆使した細やかな分析が加えられている。そして従来からのキリスト教(カトリック)信者とは異なる様々な人々が自由に参加し、それぞれ異なる聖性・真正性の追求や体験が生まれている姿が生彩ある筆致でくっきりと描きだされている。自らの理論的枠組みに適合的と思われる対象に焦点をあわせているとはいえ、それらは概ね著者の主張する「私事化の文脈依存モデル」を実証的に裏づける内容となっている。 前半の理論部分と後半の事例の検討では研究や議論のスタイルを異にするにもかかわらず、それぞれ読み応えがあり、しかも理論の提示と具体的事例によるその検証という関係において、論文全体としての統合度は高く、著者の力量の高さを窺わせる。 勿論残された課題も少なくない。著者の主張するポスト世俗化期における「宗教的共同性の再構築」については、個人化した聖地巡礼の事例からは必ずしもくっきりとは浮かび上がってこない。個人化した巡礼における一期一会的な出会いがどのように共同性に繋がってゆくか疑問も残る。 また、著者の主張する「私事化の文脈依存モデル」自体が、カトリック文化圏という文脈に依存してはいないのだろうか。カトリック文化圏の聖地巡礼はそもそも参加や関与の自由度の比較的高い民俗宗教的な宗教実践であり、現代の聖地巡礼のブームもそうした土壌の上に展開しているとも考えられる。しかしそのような文化資源が脆弱な地域で果たして同じような状況が生じるのかどうかも検討の余地があろう。 こうした検討課題は残されて入るが、本論文は現代社会における宗教性の表出の特質は何かという宗教社会学上の根本的な問いに正面から立ち向かい、既存の学説、理論についての綿密な検討をベースに、興味深い現代的現象にフィールド調査の手法で肉薄することを通して、新たなしかもクリアーな像を提起した独創性の高い研究成果であり、国際宗教研究所の定める審査基準に照らして、同研究所賞受賞にふさわしい業績として評価できる。 2011年2月19日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 岡本 亮輔 おかもと りょうすけ
1979年東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了(2007〜2008年までフランス社会科学高等研究院に留学)。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD。専門は宗教社会学・宗教学。 主要業績
「私事化論再考――個人主義モデルから文脈依存モデルへ」
(『宗教研究』81(1)号、日本宗教学会、2007年) メレディス・B・マクガイア『宗教社会学――宗教と社会のダイナミックス』 (共訳、明石書店、2008年) 「聖地の零度――フランス・テゼ共同体の事例」 (『宗教と社会』15号、「宗教と社会」学会、2009年) 「現代フランスにおける新共同体の展開と聖地巡礼――聖地の再構成と大会巡礼」 (『哲学・思想論集』28号、筑波大学哲学・思想学会、2010年) 「信仰なき巡礼者――サンティアゴ・デ・コンポステラへの道」 (山中弘編著『宗教とツーリズム』世界思想社、2011年) |
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◆第五回(財)国際宗教研究所賞(2009年度) 受賞者及び受賞業績 長谷 千代子 『文化の政治と生活の詩学――中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』風響社、2007年12月 受賞理由 長谷千代子氏の受賞業績『文化の政治と生活の詩学―中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』は、中国雲南省徳宏州に住む少数民族、徳宏タイ族の丹念なフィールドワークに基づいて、「宗教」や「民族文化伝統」など、中国政府による種々の文化や習慣に対する「上からの」カテゴリー化(文化的再編)と、徳宏タイ族の「下からの」日常的な諸実践が、どのような動態的な関係にあるのかを論じた労作である。
本書は、全体で6章から構成されている。序章では、先行研究の批判的検討を通じて著者の視点を明らかにするとともに、徳宏タイ族とその居住地の概要を紹介している。第2章では、主に1950年代以降の徳宏における「水かけ祭り」の実践と、それにまつわる言説に焦点を当てながら、「民族伝統文化」という官製のカテゴリーと、この祭りの実践との関わりを論じている。第3章では、この民族の重要な仏教儀礼である「ポイ・パラ」の調査を通じて、この儀礼が積善行であるとともに、現世での人間関係や霊魂観、世界観にも意味や根拠を与える役割を果たしていることを明らかにしている。第4章では、前章の調査を受けて、こうした実践が中国政府の掲げる正しい「宗教」、「仏教」、「民族文化伝統」というカテゴリーとどのような関係を持ち、タイ族の人々がどのようにその実践を維持しようとしているのかを論じている。第5章は、タイ族の文化圏に見られる特定の地域を守る守護霊祭祀「ムアン・ホアン」や漢族の神である「関公廟」を取り上げながら、こうした官製カテゴリーのどれにも属さない宗教的実践が彼らの日常生活に対してもっている意味を明らかにしている。そして、最終章では、上述の議論を踏まえながら、政府による文化の政治的再編の動きに対する徳宏タイ族の日常実践を、「生活の詩学」という視点から総括している。 著者は全編を通じて明瞭な論述を心がけており、その論旨の一貫性、文章力の巧みさを含めて本書の完成度は高いと判断できる。さらに学問的貢献という観点からも、宗教学、人類学の分野にとどまらず、現代中国研究、マイノリティ研究などの分野でも、本書の貢献は大きいと考えられる。とりわけ本業績は、次の2点において大きな意義を持っているといえる。第一は、政府の「上からの」文化的再編に対する少数民族による自らの宗教・文化的実践の維持を、「民衆の抵抗」という政治学的視点からではなく、「生活の詩学」という新しい視点から捉えることで、「下から」の様々な応答の動態を明らかにしたという点である。すなわち、「宗教」や「迷信」といった官製カテゴリーに対して、徳宏タイ族が、そうしたカテゴリーをめぐって、「寄り添う」、「隠れる」、「無視する」、「盲点を突く」、さらには「グローバルな言説へと逃れる」などの多様な手法を使うことで、自らの宗教的実践を維持したり、変化させたりしており、これらの手法を「詩学」という言葉で捉えることで、彼らの柔軟な日常実践の動態が巧みに明らかにされている。第二に、近年の宗教研究における「宗教」という概念の出自をめぐる議論に対する新たな示唆を与えたという点である。すなわち、長谷氏の業績は、中国という社会主義国家によって公的に定義づけられた「宗教」概念と、その下で行われている一少数民族の宗教的実践との動態的な交渉を実証的に論じることで、理論的で抽象的な議論に陥りがちな宗教概念をめぐる議論を現実的場面に即して論じる手がかりを提供したように思われるのである。 もちろん、本書に問題点がないわけではない。なかでも、第二章から第五章まで取り上げられた題材、つまり「水かけ祭り」、「ポイ・パラ」、「ムアン・ホアン」などで、本書の表題が示す「生活」全般を十分に扱い得るかについては問題を感じなくもない。「生活」についても「詩学」についても、議論をさらに深める必要が求められるのである。しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性、国際性を十分に満足させる力作であり、宗教研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績であると判断した次第である。 2009年11月7日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 長谷 千代子 ながたに ちよこ
1970年生まれ。2003年九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。2005年博士号(文学)取得(九州大学)。日本学術振興会特別研究員を経て、現在、南山宗教文化研究所非常勤研究員。専門は文化人類学、宗教研究。 主要業績
「功徳儀礼と死――中国雲南省徳宏タイ族のポイ・パラ儀礼」
(『宗教研究』第73巻第3輯、2000年) 「中国における近代の表象と日常的実践――徳宏タイ族の葬送習俗改革をめぐって」 (『民族学研究』第67巻第1号、2002年) 「他者とともに空間をひらく――雲南省芒市の関公廟をめぐる徳宏タイ族の実践」 (『社会人類学年報』第30号、2004年) 「表象の中の地域と民族――徳宏タイ族の水かけ祭りをめぐるポリティクス」 (塚田誠之編『民族表象のポリティクス――中国南部における人類学・歴史学的研究』風響社、2008年) 奨励賞 受賞者及び受賞業績 寺田 喜朗 『旧植民地における日系新宗教の受容――台湾生長の家のモノグラフ』ハーベスト社、2009年2月 受賞理由 寺田喜朗氏の受賞業績『旧植民地における日系新宗教の受容――台湾生長の家のモノグラフ』は、台湾における生長の家の受容過程とその社会的理由について、教団資料、面談調査、アンケート調査の資料・データなどを用いて丹念に分析した著作である。
生長の家という民族主義的宗教が、植民地支配を受けていた台湾の人びとにどのように受容されたか、また停滞はどのような条件で起こるか、といった興味深いテーマの設定のもとに、社会学的方法に基づいた優れたモノグラフを書きあげている。 生長の家の受容については、「制度的受容」「集団的受容」「個人的受容」の3つのレベルを設定し、これを「停滞」にも適用している。それぞれマクロ、メゾ、ミクロに対応するとして、ミクロレベルとメゾレベルの研究を中心としている。また世代による意識の違いについては、ジェネレーション・バウンダリーという概念を適用し、エスニック集団内における世代間の断絶を分析しようとした。受容と停滞の理由についての分析は、オーソドクスで、今後の研究にとって大きな足場を築いたと言える。台湾だけでなく、アジアにおける日系新宗教の展開についての研究は、それほど蓄積されていないので、本書は台湾における日系新宗教研究の基本的文献となるであろう。 本書で展開された研究は、さらに台湾における他の日系新宗教の受容と展開との、社会学的な比較へと広げられることが期待される。さらに生長の家の停滞についての考察に際して、新たな方法論を加えることも期待される。戦後の状況を考える上では、日本との政治的経済的関係がどのような推移を経てきたかについて、綿密な検討が加えられる必要もあろう。 未開拓に近いような分野を対象としているので、これ以外にもいくつかの課題を残してはいるが、本書は日系新宗教のアジアにおける展開についての研究として、大きな貢献をしており、国際宗教研究所奨励賞にふさわしいものと判断する。 2009年11月7日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 寺田 喜朗 てらだ よしろう
1972年生まれ。2007年東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。東京学芸大学、東洋大学、駒澤大学、上越教育大学、鈴鹿短期大学非常勤講師を経て、現在、鈴鹿短期大学特任助教並びに東洋大学東洋学研究所客員研究員。専門は宗教社会学、新宗教研究。 主要業績
『ライフヒストリーの宗教社会学――紡がれる信仰と人生』共編著
(ハーベスト社、2006年) 『教養教育の新たな学び――現代を生きるストラテジー』共編著 (大学教育出版、2009年) 「20世紀における日本の宗教社会学」 (大谷栄一・川又俊則・菊池裕生編著『構築される信念』ハーベスト社、2000年) 「内在的理解の方法的地平とは何か」 (『年報 社会科学基礎論研究』第2号、2003年) 「新宗教とエスノセントリズム」 (『東洋学研究』46号、2008年) |
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◆第四回(財)国際宗教研究所賞(2008年度) 受賞者及び受賞業績 小池 靖 『セラピー文化の社会学――ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ』勁草書房、2007年8月 受賞理由 本書は、著者が東京大学大学院人文社会系研究科社会学専門分野に提出した博士論文をもとにしたもので、全体で五章からなっている。第一章では問題意識と視点が提示され、それに続く三つの章では三つの事例がそれぞれ詳細に取り上げられる。そして、最後の第五章と短い結語では、それらを検討、比較することを通じて、現代社会における心理学的発想の拡大が意味するところを読み解くという構成を取っている。
第一章は、本研究がどのような問題意識と視点からセラピー文化の広がりを論じようとするのかを明らかにするものであり、先行研究の概観と本書の議論の枠組みが提示されている。著者の基本的な分析の視角は、セラピー文化の具体的実践が前提にする世界観、なかでも、それがもつ「自己像と社会像」に焦点をあわせて論じるというものである。第二章では、ネットワークビジネス、マルチ商法の販売員のネットワークが分析され、第三章では、グループ・セラピーの現代的展開の典型例として、日本の自己啓発セミナーが分析の俎上に乗せられている。第四章ではトラウマ・サバイバー運動が取り上げられ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)、「アダルトチルドレン」、「共依存」、「アディクション」、「外傷後ストレス障害」(PTSD)などのトラウマとそこから脱出するための自助グループの存在が紹介されている。第五章では、これまで紹介してきた三つの事例を比較して、現代社会における心理学的な態度の広がりの意味について論じられ、そこに「心理療法的な倫理における「強い自己」の論理と、新たな「弱い自己」の論理の両方」の存在を見出している。その上で、著者は、それぞれの運動の社会像と自己像を抑圧と責任という観点から整理するとともに、その規模、メンバーの生全体を包括する程度、さらには、それらが出現した時代状況に注意を向けている。以上が、ごく大雑把であるが、本書の内容である。 さて、本書の学問的貢献は、心理主義的なセラピー文化のように、どこまでが心理学でどこまでが宗教なのかが判然としてない、宗教研究のいわば境界領域に光を当て、その実践を正面から論じたという点にある。特に、著者が、セラピー的実践を特定の明確な自己像、社会像をもつ世界観・宇宙観として理解した上で、この種の実践を、これまで世界観構築を独占してきた宗教、倫理、哲学といった領域と競合する、イニシエーション的装置を備えた新たな世界観提供運動として機能していることを具体的事例に則して実証的に明らかにしたことは大きな意義をもっているといえよう。さらに、本書がセラピー文化と宗教との接点のあり方を具体的に論じたことは、一見すると宗教とは別物のように見えるセラピー的実践に、宗教研究の側からもアプローチする道筋がつけられたように思われるのである。 しかし、本書の論旨すべてに不満がなかったわけではない。著者が指摘するように、確かに、自律した個人という近代社会の個人像が大きく揺らいでいることは事実であろう。しかし、ポストモダン社会の免責の論理は、全体として自己実現の賛美の奔流の中に翻弄されながら、自らの行為に責任をとらずに主観性のリアリティだけを頼りにする多くの人々を生み出すのではないだろうか。つまり、セラピー文化の興隆がもたらす「私性」の支配の問題は、公共圏といった社会の秩序の存続の問題とどのように折り合いをつけるのか、このあたりの問題について、著者の見解がどのようなものなのかをもう少し論じて欲しかったような気がした。さらに、セラピー文化の隆盛が宗教教団の活動にとってどのような意味や問題をもっているかといった点についても、論じていただければ良かったように思われる。 しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、宗教とその隣接領域との研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。 2009年2月21日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 小池 靖 こいけ やすし
1970年生まれ。2006年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員、宗教情報リサーチセンター(RIRC)研究員を経て、現在、立教大学、日本大学、東洋大学にて非常勤/兼任講師。 主要業績
「ポジティブ・シンキングからニューエイジまで」
(『宗教と社会』第4号「宗教と社会」学会、1998年) 「現代宗教社会学の論争をめぐるノート――霊性・合理的選択理論・世俗化」 (国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2002年) 「文化としてのアダルトチルドレン・アディクション・共依存」 (島薗進・田邊信太郎編『つながりの中の癒し――セラピー文化の展開』専修大学出版、2002年) 「被害者のクレイムとスピリチュアリティ」 (櫻井義秀編『カルトとスピリチュアリティ』ミネルヴァ書房、2009年) |
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◆第三回(財)国際宗教研究所賞(2007年度) 受賞者及び受賞業績 西村 明 『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』有志舎、2006年12月
![]() 受賞理由 西村明氏の『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』は、戦死者及び原爆慰霊研究に対する著者独自の理論的な対概念「シズメ」と「フルイ」の提示を行うことを通じて、宗教学の立場から長崎の原爆死者の慰霊を扱った労作である。本書は、第一部「戦争死者へ向き合うこと」、第二部「戦後慰霊と戦争死者―長崎原爆慰霊をめぐって―」の二部構成になっており、第一部では後に述べる戦争死者慰霊を論じるための理論的枠組みが提示され、第二部では、長崎市の原爆慰霊、朝鮮人原爆死者の遺骨の保管と追悼碑建設、長崎医科大学の学徒犠牲者の遺族たちの動き、そして原爆死没者追悼平和記念館の建設によって遺族の間で生じた反応など、長崎の原爆死者をめぐる慰霊の諸相の詳細な検討がなされている。
さて、本書は、次の三点において慰霊研究において特筆すべき重要な学問的貢献を行なっていると判断される。第一に、政治的領域に収斂しない、戦争死者の慰霊という新たな問題領域を開拓したということである。著者は「戦死者」や「戦災死者」というこれまでのカテゴリーとは異なる「戦争死者」というカテゴリーを設けることで、戦争などの外的な暴力によって亡くなった死者全般に対する慰霊という人間の宗教的・文化的営みのもつ意味を宗教学的に捉えようとしており、これまでの慰霊研究に大きな問題提起を行うとともに、新たな角度からの慰霊研究の可能性を提示したと考えられる。 第二に、著者が慰霊現象を捉える理論的枠組みとして、「シズメ」と「フルイ」という対概念を提示したということである。「シズメ」という言葉は「魂を鎮める」という意味で慰霊という行為に一般的に使われるが、それを「フルイ」というもう一つの言葉の対として提示したことに著者のオリジナリティを認めることができる。「シズメ」のベクトルでは、生者の側が死者に対して「その悲しみや苦しみをなだめ」、「フルイ」のベクトルでは、生者が死者をなだめようとする場合に、生者の側での「儀礼的対応」や社会的・政治的な実践が求められるということである。これによって、著者は慰霊という問題を単なる死者の霊魂を「鎮める」ないし「慰める」といった生者の側だけの問題としてではなく、生者と死者との関係性として連続的かつ動態的に捉えようと試みているわけである。さらに、こうした著者の視点は、歴史主体としての生者が未来へと向うための「歴史参入装置」として、死者の霊魂を捉えようとすることで、われわれに死者に向き合うことはいかなることなのかという問いを改めて投げかけているように思われる。 第三に、哀悼という二人称の死に対する個別的な配慮、あるいは顕彰という三人称の死が含む一般的・普遍的な方向性など、人称態の変化による戦争死者への態度の変化を丁寧に検討することで、近代の国家的慰霊システムにおいて、体制的な「フルイ」と「シズメ」が、遺族などの「親密空間」や民俗社会における三人称的な「無縁空間」にどのように介入したのかを明らかにしたということである。こうした著者の問題意識は、国家、民俗社会、家族といった次元を異にする空間における慰霊の関係性を連続的に捉える可能性を開いたという点で高く評価できるだろう。 もちろん、本書で展開されている「シズメ」「フルイ」の分析概念はいまだ十分には展開されているとはいえず、この枠組みからの慰霊分析の妥当性についても議論の余地が残る。しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、慰霊研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。 2007年12月8日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 西村 明 にしむら あきら
1973年長崎県生まれ。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(宗教学・宗教史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、2004年より鹿児島大学法文学部助教授。2005年博士号(文学)取得(東京大学)。現在、鹿児島大学法文学部准教授。専門は宗教学(近現代日本における宗教性)。 主要業績
「慰霊と暴力――戦争死者への態度理解のために」
(国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2003年) 「国の弔意?――広島と長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館をめぐって」 (国際宗教研究所編、井上順孝・島薗進監修『新しい追悼施設は必要か』ぺりかん社、2004年) 「暴力のかたわらで」 (池上良正他編『岩波講座宗教 8 暴力』岩波書店、2004年) "Relating to the Unknown Dead Through Ritual: About Publicness in Japanese Folk Religion," Forum Bosnae No.39, 2007. |
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◆第二回(財)国際宗教研究所賞(2006年度) 受賞者及び受賞業績 矢野秀武 『現代タイにおける仏教運動―タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容―』2006年3月、東信堂
![]() 受賞理由 矢野秀武氏の『現代タイにおける仏教運動―タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容―』は1970年代にバンコク近郊に設立され、都市の中産階級を主な受容層として急速に発展を遂げた新しい仏教運動・タンマガーイ寺の宗教活動に焦点を合わせ、そこで実践されている独特な「タンマガーイ式瞑想」についてその形成過程を明らかにするとともに、その特質や意義について宗教学的あるいは社会学的観点から掘り下げ、その活動や瞑想実践が現代タイ社会の変容とどのようにかかわっているかを詳細に分析した労作である。
第一部では、「タンマガーイ式瞑想」の創始者・ソット・チャンタサロー師の生活史や思想、それを取り巻くタイ仏教の状況について一次資料に基づく詳しい分析がなされ、「タンマガーイ式瞑想」のルーツや変容過程が明らかにされている。そしてそこにタイの主流派仏教の教義と神秘的な守護力信仰の二重構造が見られることを指摘している。 第二部では、タンマガーイ寺の形成と発展の歴史、そこに集う出家や在家の信者やその信仰内容、儀礼や修行といった宗教活動の実態が、文献研究、アンケート調査、参与観察などを通して明らかにされる。そしてそれらを通して、信徒の信仰に涅槃への到達を目指す「瞑想・修行系の信仰」と現世利益を求める「寄進系の信仰」が共存していると分析している。 第三部では、以上の分析を踏まえ、近代タイ仏教史への「タンマガーイ式瞑想」やタンマガーイ寺の位置づけ、その宗教活動が生み出す共同性のあり方の問題、それが追及する宗教的自己とタイ社会の消費社会化との関連など、現代タイ社会においてこの宗教運動が持つ意義について宗教学的あるいは社会学的観点から総括的な検討を加えている。そしてタンマガーイ寺の活動を、信徒の主観的な禁欲意識にもかかわらず、「世俗的消費」と区別される「聖なる消費」を促すという点は、むしろ消費社会の論理を拡大するものと位置づけている。 以上のように、矢野氏の業績は現代タイ社会において急速に発展している新しい仏教運動に対し、日本の研究者として初めて正面から光を当てた本格的研究である。著者は、「タンマガーイ式瞑想」の来歴や内容、そしてタンマガーイ寺の活動そのものに、一次的文献資料、アンケート調査、聞き取りや参与観察など多彩な方法を駆使して鋭く肉薄し、その全体像を克明に描き出している。それだけでなく、タイの仏教や宗教伝統、そして現代のタイ社会への動向への深い理解を背景に、対象のより広い文化的、社会的コンテキストの中への位置づけがしっかりなされており、現代タイにおいてそれが持つ意義について説得力の高い議論が展開されている。また、「タンマガーイ式瞑想」やタンマガーイ寺に対する現地や欧米の研究者の研究を批判的に踏まえつつも、著者はオリジナリナルなアプローチを試み、独自な主張を展開している。本研究は、現代の宗教運動へのアプローチにおいて研究者に一つの範例を示すものであると同時に、現代タイ仏教や宗教の研究者にとっては今後基本的に踏まえるべき研究業績の一つとなるであろう。 タンマガーイ寺の組織や宗教活動の二重構造の解釈や、消費社会論との関連付けの分析などについてはなお議論の余地もあろうが、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、国際性、実証性のいずれをも十分に満足させる力作であり、受賞にふさわしい業績と評価できる。 2006年12月2日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 1966年東京生まれ。1993年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、1995年タイ王国国立チュラーロンコーン大学文学部に2年間留学。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士号(文学)取得。現在、駒澤大学総合教育研究部専任講師。専門は、宗教人類学、宗教社会学、タイ地域研究。
主要業績
「都市のタイ上座部仏教――タンマカーイ式瞑想の形成と瞑想の大衆化」
(日本宗教学会『宗教研究』第71巻第3輯 314号 1997年) 「生産と消費の自己構築――タイ都市部の仏教運動における瞑想と教団イベント」 (『宗教と社会』第7号 2001年) 「タイ都市部の仏教運動における自己と社会関係の再構築――社会的行為としての瞑想」 (宮永國子編著『グローバル化とアイデンティティ・クライシス』明石書店 2002年) 「タイの上座仏教と公共宗教」 (池上良正他編『岩波講座 宗教 9 宗教の挑戦』岩波書店 2004年) |
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◆第一回(財)国際宗教研究所賞(2005年度) 受賞者及び受賞業績 近藤光博 「宗教・ナショナリズム・暴力――ヒンドゥー・ナショナリスト運動のイデオロギーに関する研究」 (2004年 東京大学提出博士論文) 受賞理由 近藤光博氏の学位請求論文「宗教・ナショナリズム・暴カ――ヒンドゥー・ナショナリスト運動のイデオロギーに関する研究」は、1998年〜2004年にインド連邦の最高権力を担ったインド人民党(BJP)の母体を成す民族奉仕団(RSS)とその関係諸組織(サンガ・パリワール)に属するトップ・イデオローグたちの言説および論者自身の調査資料の分析から、現代インドのヒンドゥー・ナショナリスト運動の「イデオロギー」を明らかにしようとしたものである。
「ヒンドゥー至上主義」とか「ヒンドゥー原理主義」などの名で知られるヒンドゥー・ナショナリズムに関する研究は、諸外国では90年以降に顕著な進展が見られるが、わが国では、特にその「イデオロギー」に関する研究は未開拓の領野であった。 本論文において論者はヒンドゥー・ナショナリスト・イデオロギーの特質と構造を、一次資料を駆使して包括的かつ体系的に明らかにしようと試みている。 本論文はA4版416頁(文献表を含む)に及ぶ大作である。論者は冒頭において本論文は(1)現代宗教論の一環であり、(2)ヒンドゥー・ナショナリズム研究の進展を目指し、(3)現代インド思想研究の一環としてのものであると述べているが、これら3点は本論文の基本視座であり主題ともなっている。 まず厖大な先行研究を検討しつつヒンドゥー・ナショナリスト運動が現代宗教論の視点からどのように位置づけられるかが論じられると共に、使用される用語が吟味される(序章)。次にヒンドゥー・ナショナリズムの歴史、とくに民族奉仕団の80年代と90年代の展開史が詳述され、また「ヒンドゥー・ネーション」とは何かをめぐり多種の資料により検討がなされ、問題点が指摘される(第2、第3章)。 以上を踏まえて現代のヒンドゥー・ナショナリスト・イデオローグにとって、「ヒンドゥー文化」、「ダルマ」、「ヒンドゥーイズム」はどのような意味をもつかが追究され、彼らが推進するのは、「ヒンドゥー教」という近代的観念を古代史の理解にもそのまま採用することにより、その歴史的一貫性を主張することだとする。論者はこのような動向を「ヒンドゥー教の標準化」と呼ぶ(第4、第5章)。さらにヒンドゥー・ナショナリスト・イデオローグは、ヒンドゥーは古代黄金の日の栄光を失い歴史の中に没落したが、今こそ立ち上るべしという物語によって、人びとの神話的想像力を刺激し、これがインド人民党連合政権の誕生に貢献しているとし、また「一神教」を敵と位置づけるヒンドゥー・ナショナリストの意図と役割を分析する。そしてく文明化=近代化=開発〉と捉えるヒンドゥー・ナショナリストの態度は、「西洋化なき近代化」の理念をよく表現しているとする(第6、第7、第8章)。 以上のように1980年代から90年代におけるヒンドゥー・ナショナリズム運動のトップ・イデオローグたちが発した一群の言説の分析を総合して、論者はヒンドゥー・ナショナリスト・イデオロギーの特質を示す。それは、ヒンドゥー・ネーションと国民国家の偉大さと強さを示し、その組織を強化して、文化、宗教、経済、軍事などあらゆる分野でみずからを格上げさせることを目指すことである。またこれを実現するための行動規範として自己防衛の意義を説き、非暴力主義を否定し、あらゆる領域において多様性に対して統一性を優先させるという特徴があるとする(結論)。 本論文はヒンドゥー・ナショナリズムのイデオロギーの特質を包括的、体系的に明らかにしようとした、わが国では前例のない成果である。厖大な関係文献とみずからの調査資料の丹念な分析と考察から成った本論文は、現代インドの政治−宗教−社会研究の今後の進展に寄与するところ大であるのみならず、宗教研究一般の方法論の深化に資するところも少なくない。ただ、一文献に拠りすぎた観のある箇所があることや、概念(「イデオロギー」など)の明確化にやや不十分さがある点などは今後の課題となろう。 かくして本論文の内容は国際宗教研究所賞の審査基準である「現代性」、「国際性」および「実証性」のいずれをも十分に充たしており、本賞受賞に値するものと評価する。 2006年1月14日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会 受賞者経歴 1967年鹿児島県生まれ。1994年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、在インド日本国大使館にて政務専門調査員を務める。2001年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(宗教学・宗教史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、東京大学東洋文化研究所非常勤講師。2004年博士(文学)号取得(東京大学)。専門は、現代宗教論、南アジア近現代史。
主要業績
「「マハトマ」暗殺:非暴力の使徒、友愛と対話の人が殺されねばならなかった理由」
(南山宗教文化研究所編『宗教と宗教の〈あいだ〉』風媒社、2000年) 「インド政治文化の展開――ヒンドゥー・ナショナリズムと中間層」 (堀本武功・広瀬崇子編『現代南アジア3 民主主義へのとりくみ』東京大学出版会、2002年) 「宗教とナショナリズム:現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムの事例から」 (池上良正他編『岩波講座9 宗教の挑戦』岩波書店、2004年) 「ヒンドゥー・ナショナリズムとは何か」(『世界』2004年12月号) 「宗教復興と世俗的近代――現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムの事例から」 (国際宗教研究所編『現代宗教2005』東京堂出版、2005年) |