(財)国際宗教研究所賞





 (財)国際宗教研究所は、内外宗教の研究を通じて宗教相互の理解を深め、ひいては人類文化の向上に資する目的で、1954年5月設立されました。現在は日本の数十に及ぶ宗教団体や研究機関を賛助会員とし、また多くの個人会員に支えられ、的確な宗教情報の提供や宗教研究の推進、また宗教者・ジャーナリスト・宗教研究者の相互理解の深化を目指して、活動を進めています。併設する宗教情報リサーチセンターの運営、定期刊行物『現代宗教』『国際宗教研究所ニュースレター』、『ラーク便り』の刊行、定期的なシンポジウムや研究会の開催、およびその成果の出版などを継続的に行っており、その活動は高い評価をいただいております。
 (財)国際宗教研究所では、その活動の新たな展開として2005年度より「国際宗教研究所賞」を創設し、広く応募者を募っています。

第五回 (財)国際宗教研究所賞(2009年度) 募集要項
※応募締め切りは2009年7月末日。審査結果公表および授与式は11月頃を予定。


 第五回 (財)国際宗教研究所賞(2008年度) 受賞 長谷千代子  奨励賞受賞 寺田喜朗
 第四回 (財)国際宗教研究所賞(2008年度) 受賞 小池 靖
 第三回 (財)国際宗教研究所賞(2007年度) 受賞 西村 明
 第二回 (財)国際宗教研究所賞(2006年度) 受賞 矢野秀武
 第一回 (財)国際宗教研究所賞(2005年度) 受賞 近藤光博



◆第五回(財)国際宗教研究所賞(2009年度)

受賞者及び受賞業績

長谷 千代子
 『文化の政治と生活の詩学――中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』風響社、2007年12月

受賞写真1 受賞写真2

受賞理由

  長谷千代子氏の受賞業績『文化の政治と生活の詩学―中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』は、中国雲南省徳宏州に住む少数民族、徳宏タイ族の丹念なフィールドワークに基づいて、「宗教」や「民族文化伝統」など、中国政府による種々の文化や習慣に対する「上からの」カテゴリー化(文化的再編)と、徳宏タイ族の「下からの」日常的な諸実践が、どのような動態的な関係にあるのかを論じた労作である。
  本書は、全体で6章から構成されている。序章では、先行研究の批判的検討を通じて著者の視点を明らかにするとともに、徳宏タイ族とその居住地の概要を紹介している。第2章では、主に1950年代以降の徳宏における「水かけ祭り」の実践と、それにまつわる言説に焦点を当てながら、「民族伝統文化」という官製のカテゴリーと、この祭りの実践との関わりを論じている。第3章では、この民族の重要な仏教儀礼である「ポイ・パラ」の調査を通じて、この儀礼が積善行であるとともに、現世での人間関係や霊魂観、世界観にも意味や根拠を与える役割を果たしていることを明らかにしている。第4章では、前章の調査を受けて、こうした実践が中国政府の掲げる正しい「宗教」、「仏教」、「民族文化伝統」というカテゴリーとどのような関係を持ち、タイ族の人々がどのようにその実践を維持しようとしているのかを論じている。第5章は、タイ族の文化圏に見られる特定の地域を守る守護霊祭祀「ムアン・ホアン」や漢族の神である「関公廟」を取り上げながら、こうした官製カテゴリーのどれにも属さない宗教的実践が彼らの日常生活に対してもっている意味を明らかにしている。そして、最終章では、上述の議論を踏まえながら、政府による文化の政治的再編の動きに対する徳宏タイ族の日常実践を、「生活の詩学」という視点から総括している。
 著者は全編を通じて明瞭な論述を心がけており、その論旨の一貫性、文章力の巧みさを含めて本書の完成度は高いと判断できる。さらに学問的貢献という観点からも、宗教学、人類学の分野にとどまらず、現代中国研究、マイノリティ研究などの分野でも、本書の貢献は大きいと考えられる。とりわけ本業績は、次の2点において大きな意義を持っているといえる。第一は、政府の「上からの」文化的再編に対する少数民族による自らの宗教・文化的実践の維持を、「民衆の抵抗」という政治学的視点からではなく、「生活の詩学」という新しい視点から捉えることで、「下から」の様々な応答の動態を明らかにしたという点である。すなわち、「宗教」や「迷信」といった官製カテゴリーに対して、徳宏タイ族が、そうしたカテゴリーをめぐって、「寄り添う」、「隠れる」、「無視する」、「盲点を突く」、さらには「グローバルな言説へと逃れる」などの多様な手法を使うことで、自らの宗教的実践を維持したり、変化させたりしており、これらの手法を「詩学」という言葉で捉えることで、彼らの柔軟な日常実践の動態が巧みに明らかにされている。第二に、近年の宗教研究における「宗教」という概念の出自をめぐる議論に対する新たな示唆を与えたという点である。すなわち、長谷氏の業績は、中国という社会主義国家によって公的に定義づけられた「宗教」概念と、その下で行われている一少数民族の宗教的実践との動態的な交渉を実証的に論じることで、理論的で抽象的な議論に陥りがちな宗教概念をめぐる議論を現実的場面に即して論じる手がかりを提供したように思われるのである。
  もちろん、本書に問題点がないわけではない。なかでも、第二章から第五章まで取り上げられた題材、つまり「水かけ祭り」、「ポイ・パラ」、「ムアン・ホアン」などで、本書の表題が示す「生活」全般を十分に扱い得るかについては問題を感じなくもない。「生活」についても「詩学」についても、議論をさらに深める必要が求められるのである。しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性、国際性を十分に満足させる力作であり、宗教研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績であると判断した次第である。

2009年11月7日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
長谷 千代子 ながたに ちよこ
1970年生まれ。2003年九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。2005年博士号(文学)取得(九州大学)。日本学術振興会特別研究員を経て、現在、南山宗教文化研究所非常勤研究員。専門は文化人類学、宗教研究。

主要業績
「功徳儀礼と死――中国雲南省徳宏タイ族のポイ・パラ儀礼」
   (『宗教研究』第73巻第3輯、2000年)
「中国における近代の表象と日常的実践――徳宏タイ族の葬送習俗改革をめぐって」
   (『民族学研究』第67巻第1号、2002年)
「他者とともに空間をひらく――雲南省芒市の関公廟をめぐる徳宏タイ族の実践」
   (『社会人類学年報』第30号、2004年)
「表象の中の地域と民族――徳宏タイ族の水かけ祭りをめぐるポリティクス」
   (塚田誠之編『民族表象のポリティクス――中国南部における人類学・歴史学的研究』風響社、2008年)

奨励賞 受賞者及び受賞業績

寺田 喜朗
 『旧植民地における日系新宗教の受容――台湾生長の家のモノグラフ』ハーベスト社、2009年2月

受賞写真1 受賞写真2

受賞理由

  寺田喜朗氏の受賞業績『旧植民地における日系新宗教の受容――台湾生長の家のモノグラフ』は、台湾における生長の家の受容過程とその社会的理由について、教団資料、面談調査、アンケート調査の資料・データなどを用いて丹念に分析した著作である。
  生長の家という民族主義的宗教が、植民地支配を受けていた台湾の人びとにどのように受容されたか、また停滞はどのような条件で起こるか、といった興味深いテーマの設定のもとに、社会学的方法に基づいた優れたモノグラフを書きあげている。
  生長の家の受容については、「制度的受容」「集団的受容」「個人的受容」の3つのレベルを設定し、これを「停滞」にも適用している。それぞれマクロ、メゾ、ミクロに対応するとして、ミクロレベルとメゾレベルの研究を中心としている。また世代による意識の違いについては、ジェネレーション・バウンダリーという概念を適用し、エスニック集団内における世代間の断絶を分析しようとした。受容と停滞の理由についての分析は、オーソドクスで、今後の研究にとって大きな足場を築いたと言える。台湾だけでなく、アジアにおける日系新宗教の展開についての研究は、それほど蓄積されていないので、本書は台湾における日系新宗教研究の基本的文献となるであろう。
 本書で展開された研究は、さらに台湾における他の日系新宗教の受容と展開との、社会学的な比較へと広げられることが期待される。さらに生長の家の停滞についての考察に際して、新たな方法論を加えることも期待される。戦後の状況を考える上では、日本との政治的経済的関係がどのような推移を経てきたかについて、綿密な検討が加えられる必要もあろう。
 未開拓に近いような分野を対象としているので、これ以外にもいくつかの課題を残してはいるが、本書は日系新宗教のアジアにおける展開についての研究として、大きな貢献をしており、国際宗教研究所奨励賞にふさわしいものと判断する。

2009年11月7日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
寺田 喜朗 てらだ よしろう
1972年生まれ。2007年東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。東京学芸大学、東洋大学、駒澤大学、上越教育大学、鈴鹿短期大学非常勤講師を経て、現在、鈴鹿短期大学特任助教並びに東洋大学東洋学研究所客員研究員。専門は宗教社会学、新宗教研究。

主要業績
『ライフヒストリーの宗教社会学――紡がれる信仰と人生』共編著
   (ハーベスト社、2006年)
『教養教育の新たな学び――現代を生きるストラテジー』共編著
   (大学教育出版、2009年)
「20世紀における日本の宗教社会学」
   (大谷栄一・川又俊則・菊池裕生編著『構築される信念』ハーベスト社、2000年)
「内在的理解の方法的地平とは何か」
   (『年報 社会科学基礎論研究』第2号、2003年)
「新宗教とエスノセントリズム」
   (『東洋学研究』46号、2008年)



◆第四回(財)国際宗教研究所賞(2008年度)

受賞者及び受賞業績

小池 靖
 『セラピー文化の社会学――ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ』勁草書房、2007年8月

受賞写真1 受賞写真2

受賞理由

  本書は、著者が東京大学大学院人文社会系研究科社会学専門分野に提出した博士論文をもとにしたもので、全体で五章からなっている。第一章では問題意識と視点が提示され、それに続く三つの章では三つの事例がそれぞれ詳細に取り上げられる。そして、最後の第五章と短い結語では、それらを検討、比較することを通じて、現代社会における心理学的発想の拡大が意味するところを読み解くという構成を取っている。
  第一章は、本研究がどのような問題意識と視点からセラピー文化の広がりを論じようとするのかを明らかにするものであり、先行研究の概観と本書の議論の枠組みが提示されている。著者の基本的な分析の視角は、セラピー文化の具体的実践が前提にする世界観、なかでも、それがもつ「自己像と社会像」に焦点をあわせて論じるというものである。第二章では、ネットワークビジネス、マルチ商法の販売員のネットワークが分析され、第三章では、グループ・セラピーの現代的展開の典型例として、日本の自己啓発セミナーが分析の俎上に乗せられている。第四章ではトラウマ・サバイバー運動が取り上げられ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)、「アダルトチルドレン」、「共依存」、「アディクション」、「外傷後ストレス障害」(PTSD)などのトラウマとそこから脱出するための自助グループの存在が紹介されている。第五章では、これまで紹介してきた三つの事例を比較して、現代社会における心理学的な態度の広がりの意味について論じられ、そこに「心理療法的な倫理における「強い自己」の論理と、新たな「弱い自己」の論理の両方」の存在を見出している。その上で、著者は、それぞれの運動の社会像と自己像を抑圧と責任という観点から整理するとともに、その規模、メンバーの生全体を包括する程度、さらには、それらが出現した時代状況に注意を向けている。以上が、ごく大雑把であるが、本書の内容である。
  さて、本書の学問的貢献は、心理主義的なセラピー文化のように、どこまでが心理学でどこまでが宗教なのかが判然としてない、宗教研究のいわば境界領域に光を当て、その実践を正面から論じたという点にある。特に、著者が、セラピー的実践を特定の明確な自己像、社会像をもつ世界観・宇宙観として理解した上で、この種の実践を、これまで世界観構築を独占してきた宗教、倫理、哲学といった領域と競合する、イニシエーション的装置を備えた新たな世界観提供運動として機能していることを具体的事例に則して実証的に明らかにしたことは大きな意義をもっているといえよう。さらに、本書がセラピー文化と宗教との接点のあり方を具体的に論じたことは、一見すると宗教とは別物のように見えるセラピー的実践に、宗教研究の側からもアプローチする道筋がつけられたように思われるのである。
  しかし、本書の論旨すべてに不満がなかったわけではない。著者が指摘するように、確かに、自律した個人という近代社会の個人像が大きく揺らいでいることは事実であろう。しかし、ポストモダン社会の免責の論理は、全体として自己実現の賛美の奔流の中に翻弄されながら、自らの行為に責任をとらずに主観性のリアリティだけを頼りにする多くの人々を生み出すのではないだろうか。つまり、セラピー文化の興隆がもたらす「私性」の支配の問題は、公共圏といった社会の秩序の存続の問題とどのように折り合いをつけるのか、このあたりの問題について、著者の見解がどのようなものなのかをもう少し論じて欲しかったような気がした。さらに、セラピー文化の隆盛が宗教教団の活動にとってどのような意味や問題をもっているかといった点についても、論じていただければ良かったように思われる。
  しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、宗教とその隣接領域との研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。

2009年2月21日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
小池 靖 こいけ やすし
1970年生まれ。2006年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員、宗教情報リサーチセンター(RIRC)研究員を経て、現在、立教大学、日本大学、東洋大学にて非常勤/兼任講師。

主要業績
「ポジティブ・シンキングからニューエイジまで」
   (『宗教と社会』第4号「宗教と社会」学会、1998年)
「現代宗教社会学の論争をめぐるノート――霊性・合理的選択理論・世俗化」
   (国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2002年)
「文化としてのアダルトチルドレン・アディクション・共依存」
   (島薗進・田邊信太郎編『つながりの中の癒し――セラピー文化の展開』専修大学出版、2002年)
「被害者のクレイムとスピリチュアリティ」
   (櫻井義秀編『カルトとスピリチュアリティ』ミネルヴァ書房、2009年)




◆第三回(財)国際宗教研究所賞(2007年度)

受賞者及び受賞業績

西村 明
 『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』有志舎、2006年12月

受賞写真1 受賞写真2

受賞理由

  西村明氏の『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』は、戦死者及び原爆慰霊研究に対する著者独自の理論的な対概念「シズメ」と「フルイ」の提示を行うことを通じて、宗教学の立場から長崎の原爆死者の慰霊を扱った労作である。本書は、第一部「戦争死者へ向き合うこと」、第二部「戦後慰霊と戦争死者―長崎原爆慰霊をめぐって―」の二部構成になっており、第一部では後に述べる戦争死者慰霊を論じるための理論的枠組みが提示され、第二部では、長崎市の原爆慰霊、朝鮮人原爆死者の遺骨の保管と追悼碑建設、長崎医科大学の学徒犠牲者の遺族たちの動き、そして原爆死没者追悼平和記念館の建設によって遺族の間で生じた反応など、長崎の原爆死者をめぐる慰霊の諸相の詳細な検討がなされている。
  さて、本書は、次の三点において慰霊研究において特筆すべき重要な学問的貢献を行なっていると判断される。第一に、政治的領域に収斂しない、戦争死者の慰霊という新たな問題領域を開拓したということである。著者は「戦死者」や「戦災死者」というこれまでのカテゴリーとは異なる「戦争死者」というカテゴリーを設けることで、戦争などの外的な暴力によって亡くなった死者全般に対する慰霊という人間の宗教的・文化的営みのもつ意味を宗教学的に捉えようとしており、これまでの慰霊研究に大きな問題提起を行うとともに、新たな角度からの慰霊研究の可能性を提示したと考えられる。
  第二に、著者が慰霊現象を捉える理論的枠組みとして、「シズメ」と「フルイ」という対概念を提示したということである。「シズメ」という言葉は「魂を鎮める」という意味で慰霊という行為に一般的に使われるが、それを「フルイ」というもう一つの言葉の対として提示したことに著者のオリジナリティを認めることができる。「シズメ」のベクトルでは、生者の側が死者に対して「その悲しみや苦しみをなだめ」、「フルイ」のベクトルでは、生者が死者をなだめようとする場合に、生者の側での「儀礼的対応」や社会的・政治的な実践が求められるということである。これによって、著者は慰霊という問題を単なる死者の霊魂を「鎮める」ないし「慰める」といった生者の側だけの問題としてではなく、生者と死者との関係性として連続的かつ動態的に捉えようと試みているわけである。さらに、こうした著者の視点は、歴史主体としての生者が未来へと向うための「歴史参入装置」として、死者の霊魂を捉えようとすることで、われわれに死者に向き合うことはいかなることなのかという問いを改めて投げかけているように思われる。
  第三に、哀悼という二人称の死に対する個別的な配慮、あるいは顕彰という三人称の死が含む一般的・普遍的な方向性など、人称態の変化による戦争死者への態度の変化を丁寧に検討することで、近代の国家的慰霊システムにおいて、体制的な「フルイ」と「シズメ」が、遺族などの「親密空間」や民俗社会における三人称的な「無縁空間」にどのように介入したのかを明らかにしたということである。こうした著者の問題意識は、国家、民俗社会、家族といった次元を異にする空間における慰霊の関係性を連続的に捉える可能性を開いたという点で高く評価できるだろう。
  もちろん、本書で展開されている「シズメ」「フルイ」の分析概念はいまだ十分には展開されているとはいえず、この枠組みからの慰霊分析の妥当性についても議論の余地が残る。しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、慰霊研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。

2007年12月8日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
西村 明 にしむら あきら
1973年長崎県生まれ。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(宗教学・宗教史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、2004年より鹿児島大学法文学部助教授。2005年博士号(文学)取得(東京大学)。現在、鹿児島大学法文学部准教授。専門は宗教学(近現代日本における宗教性)。

主要業績
「慰霊と暴力――戦争死者への態度理解のために」
   (国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2003年)
「国の弔意?――広島と長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館をめぐって」
   (国際宗教研究所編、井上順孝・島薗進監修『新しい追悼施設は必要か』ぺりかん社、2004年)
「暴力のかたわらで」
   (池上良正他編『岩波講座宗教 8 暴力』岩波書店、2004年)
"Relating to the Unknown Dead Through Ritual: About Publicness in Japanese Folk Religion," Forum Bosnae No.39, 2007.




◆第二回(財)国際宗教研究所賞(2006年度)

受賞者及び受賞業績

矢野秀武
 『現代タイにおける仏教運動―タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容―』2006年3月、東信堂

受賞写真1 受賞写真2

受賞理由

 矢野秀武氏の『現代タイにおける仏教運動―タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容―』は1970年代にバンコク近郊に設立され、都市の中産階級を主な受容層として急速に発展を遂げた新しい仏教運動・タンマガーイ寺の宗教活動に焦点を合わせ、そこで実践されている独特な「タンマガーイ式瞑想」についてその形成過程を明らかにするとともに、その特質や意義について宗教学的あるいは社会学的観点から掘り下げ、その活動や瞑想実践が現代タイ社会の変容とどのようにかかわっているかを詳細に分析した労作である。
 第一部では、「タンマガーイ式瞑想」の創始者・ソット・チャンタサロー師の生活史や思想、それを取り巻くタイ仏教の状況について一次資料に基づく詳しい分析がなされ、「タンマガーイ式瞑想」のルーツや変容過程が明らかにされている。そしてそこにタイの主流派仏教の教義と神秘的な守護力信仰の二重構造が見られることを指摘している。
 第二部では、タンマガーイ寺の形成と発展の歴史、そこに集う出家や在家の信者やその信仰内容、儀礼や修行といった宗教活動の実態が、文献研究、アンケート調査、参与観察などを通して明らかにされる。そしてそれらを通して、信徒の信仰に涅槃への到達を目指す「瞑想・修行系の信仰」と現世利益を求める「寄進系の信仰」が共存していると分析している。
 第三部では、以上の分析を踏まえ、近代タイ仏教史への「タンマガーイ式瞑想」やタンマガーイ寺の位置づけ、その宗教活動が生み出す共同性のあり方の問題、それが追及する宗教的自己とタイ社会の消費社会化との関連など、現代タイ社会においてこの宗教運動が持つ意義について宗教学的あるいは社会学的観点から総括的な検討を加えている。そしてタンマガーイ寺の活動を、信徒の主観的な禁欲意識にもかかわらず、「世俗的消費」と区別される「聖なる消費」を促すという点は、むしろ消費社会の論理を拡大するものと位置づけている。
 以上のように、矢野氏の業績は現代タイ社会において急速に発展している新しい仏教運動に対し、日本の研究者として初めて正面から光を当てた本格的研究である。著者は、「タンマガーイ式瞑想」の来歴や内容、そしてタンマガーイ寺の活動そのものに、一次的文献資料、アンケート調査、聞き取りや参与観察など多彩な方法を駆使して鋭く肉薄し、その全体像を克明に描き出している。それだけでなく、タイの仏教や宗教伝統、そして現代のタイ社会への動向への深い理解を背景に、対象のより広い文化的、社会的コンテキストの中への位置づけがしっかりなされており、現代タイにおいてそれが持つ意義について説得力の高い議論が展開されている。また、「タンマガーイ式瞑想」やタンマガーイ寺に対する現地や欧米の研究者の研究を批判的に踏まえつつも、著者はオリジナリナルなアプローチを試み、独自な主張を展開している。本研究は、現代の宗教運動へのアプローチにおいて研究者に一つの範例を示すものであると同時に、現代タイ仏教や宗教の研究者にとっては今後基本的に踏まえるべき研究業績の一つとなるであろう。
 タンマガーイ寺の組織や宗教活動の二重構造の解釈や、消費社会論との関連付けの分析などについてはなお議論の余地もあろうが、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、国際性、実証性のいずれをも十分に満足させる力作であり、受賞にふさわしい業績と評価できる。
2006年12月2日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
1966年東京生まれ。1993年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、1995年タイ王国国立チュラーロンコーン大学文学部に2年間留学。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士号(文学)取得。現在、駒澤大学総合教育研究部専任講師。専門は、宗教人類学、宗教社会学、タイ地域研究。

主要業績
「都市のタイ上座部仏教――タンマカーイ式瞑想の形成と瞑想の大衆化」
    (日本宗教学会『宗教研究』第71巻第3輯 314号 1997年)
「生産と消費の自己構築――タイ都市部の仏教運動における瞑想と教団イベント」
    (『宗教と社会』第7号 2001年)
「タイ都市部の仏教運動における自己と社会関係の再構築――社会的行為としての瞑想」
    (宮永國子編著『グローバル化とアイデンティティ・クライシス』明石書店 2002年)
「タイの上座仏教と公共宗教」
    (池上良正他編『岩波講座 宗教 9 宗教の挑戦』岩波書店 2004年)




◆第一回(財)国際宗教研究所賞(2005年度)

受賞者及び受賞業績

近藤光博
「宗教・ナショナリズム・暴力――ヒンドゥー・ナショナリスト運動のイデオロギーに関する研究」
(2004年 東京大学提出博士論文)


受賞写真

受賞理由

 近藤光博氏の学位請求論文「宗教・ナショナリズム・暴カ――ヒンドゥー・ナショナリスト運動のイデオロギーに関する研究」は、1998年〜2004年にインド連邦の最高権力を担ったインド人民党(BJP)の母体を成す民族奉仕団(RSS)とその関係諸組織(サンガ・パリワール)に属するトップ・イデオローグたちの言説および論者自身の調査資料の分析から、現代インドのヒンドゥー・ナショナリスト運動の「イデオロギー」を明らかにしようとしたものである。
 「ヒンドゥー至上主義」とか「ヒンドゥー原理主義」などの名で知られるヒンドゥー・ナショナリズムに関する研究は、諸外国では90年以降に顕著な進展が見られるが、わが国では、特にその「イデオロギー」に関する研究は未開拓の領野であった。
 本論文において論者はヒンドゥー・ナショナリスト・イデオロギーの特質と構造を、一次資料を駆使して包括的かつ体系的に明らかにしようと試みている。
 本論文はA4版416頁(文献表を含む)に及ぶ大作である。論者は冒頭において本論文は(1)現代宗教論の一環であり、(2)ヒンドゥー・ナショナリズム研究の進展を目指し、(3)現代インド思想研究の一環としてのものであると述べているが、これら3点は本論文の基本視座であり主題ともなっている。
 まず厖大な先行研究を検討しつつヒンドゥー・ナショナリスト運動が現代宗教論の視点からどのように位置づけられるかが論じられると共に、使用される用語が吟味される(序章)。次にヒンドゥー・ナショナリズムの歴史、とくに民族奉仕団の80年代と90年代の展開史が詳述され、また「ヒンドゥー・ネーション」とは何かをめぐり多種の資料により検討がなされ、問題点が指摘される(第2、第3章)。
 以上を踏まえて現代のヒンドゥー・ナショナリスト・イデオローグにとって、「ヒンドゥー文化」、「ダルマ」、「ヒンドゥーイズム」はどのような意味をもつかが追究され、彼らが推進するのは、「ヒンドゥー教」という近代的観念を古代史の理解にもそのまま採用することにより、その歴史的一貫性を主張することだとする。論者はこのような動向を「ヒンドゥー教の標準化」と呼ぶ(第4、第5章)。さらにヒンドゥー・ナショナリスト・イデオローグは、ヒンドゥーは古代黄金の日の栄光を失い歴史の中に没落したが、今こそ立ち上るべしという物語によって、人びとの神話的想像力を刺激し、これがインド人民党連合政権の誕生に貢献しているとし、また「一神教」を敵と位置づけるヒンドゥー・ナショナリストの意図と役割を分析する。そしてく文明化=近代化=開発〉と捉えるヒンドゥー・ナショナリストの態度は、「西洋化なき近代化」の理念をよく表現しているとする(第6、第7、第8章)。
 以上のように1980年代から90年代におけるヒンドゥー・ナショナリズム運動のトップ・イデオローグたちが発した一群の言説の分析を総合して、論者はヒンドゥー・ナショナリスト・イデオロギーの特質を示す。それは、ヒンドゥー・ネーションと国民国家の偉大さと強さを示し、その組織を強化して、文化、宗教、経済、軍事などあらゆる分野でみずからを格上げさせることを目指すことである。またこれを実現するための行動規範として自己防衛の意義を説き、非暴力主義を否定し、あらゆる領域において多様性に対して統一性を優先させるという特徴があるとする(結論)。
 本論文はヒンドゥー・ナショナリズムのイデオロギーの特質を包括的、体系的に明らかにしようとした、わが国では前例のない成果である。厖大な関係文献とみずからの調査資料の丹念な分析と考察から成った本論文は、現代インドの政治−宗教−社会研究の今後の進展に寄与するところ大であるのみならず、宗教研究一般の方法論の深化に資するところも少なくない。ただ、一文献に拠りすぎた観のある箇所があることや、概念(「イデオロギー」など)の明確化にやや不十分さがある点などは今後の課題となろう。
 かくして本論文の内容は国際宗教研究所賞の審査基準である「現代性」、「国際性」および「実証性」のいずれをも十分に充たしており、本賞受賞に値するものと評価する。

2006年1月14日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴
1967年鹿児島県生まれ。1994年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、在インド日本国大使館にて政務専門調査員を務める。2001年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(宗教学・宗教史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、東京大学東洋文化研究所非常勤講師。2004年博士(文学)号取得(東京大学)。専門は、現代宗教論、南アジア近現代史。

主要業績
「「マハトマ」暗殺:非暴力の使徒、友愛と対話の人が殺されねばならなかった理由」
(南山宗教文化研究所編『宗教と宗教の〈あいだ〉』風媒社、2000年)

「インド政治文化の展開――ヒンドゥー・ナショナリズムと中間層」
(堀本武功・広瀬崇子編『現代南アジア3 民主主義へのとりくみ』東京大学出版会、2002年)

「宗教とナショナリズム:現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムの事例から」
(池上良正他編『岩波講座9 宗教の挑戦』岩波書店、2004年)

「ヒンドゥー・ナショナリズムとは何か」(『世界』2004年12月号)

「宗教復興と世俗的近代――現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムの事例から」
(国際宗教研究所編『現代宗教2005』東京堂出版、2005年)